ビットコイン、投資だけじゃない?「自分で管理する」本当の意味



最近、ビットコインというと投資やETF(上場投資信託)の話ばかり耳にします。たしかに、資産を増やす手段として大きな注目を集めています。


でも、それって本来の姿だったかな、とふと思うんです。なんだか、もっと別の意味があったような気がして。ただの値上がりを期待する対象としてだけ扱われることに、少し違和感を覚えるようになりました。


あれ、これって「見られてる」?


世の中、どんどん便利になる一方で、自分の行動やお金の流れが、すべてデータとして記録されている感覚がありませんか。


金融取引も例外ではありません。誰がどこで何を使ったか、あまりにも透明になりすぎているような気がします。これを「監視」というと大げさかもしれませんが、少し息苦しさを感じるのは事実です。


たとえばアメリカでは、税務当局(IRS)が2025年の取引から、暗号資産の取引所に対して、利用者の詳細な取引データを報告するよう義務付けました。


こうなると、取引所に預けているデジタル資産は、結局のところ銀行預金と同じように、誰かの管理下にあるわけです。便利さの裏返しとして、常に「見られている」状態とも言えます。


投資対象から「抵抗する資産」へ


そこで、ビットコインが最初に持っていた考え方を、あらためて少し調べてみました。


もともとは、特定の国や銀行といった「中央」が存在せず、個人が自分の資産を直接コントロールできる、という点が新しかったようです。誰かの許可を得なくても、資産を保有したり、送ったりできる自由。それが核心でした。


政府が発行するお金は、時にその価値が(インフレなどで)目減りすることがあります。ビットコインは、そうした中央の管理から離れた「抵抗する資産」としての側面も持っていました。


規制が強まれば強まるほど、皮肉なことに、この「誰にも管理されない」という価値が際立ってくるわけです。


「自分で管理する」という選択


こうした背景から、最近「自分の資産は自分で守る」という動きが、再び静かに注目されています。


「セルフカストディ(自己管理)」と呼ばれる考え方です。


これは、取引所のような第三者に預けるのではなく、自分専用のデジタルウォレット(お財布)で、自分自身が管理することを意味します。


取引所に預けっぱなしにするのは、たしかに簡単で楽です。ですがそれは、取引所のハッキングや倒産といったリスクだけでなく、先ほどのような「管理」されるリスクも、そのまま受け入れていることになります。


自由には責任が伴う


もちろん、自分で直接管理するのは、正直かなり気を使いますし、面倒な面もあります。


一番怖いのは、自分で設定したパスワードや「秘密鍵」と呼ばれる最も大事な情報を失くしてしまうことです。もし失くしてしまったら、その資産は二度と誰も取り戻せません。自分自身でさえも、です。


すべての責任を自分で負わなければいけない。これは、自己管理の重い側面です。


隠すことと、管理すること


でも、その手間と責任を引き受ける代わりに「誰にも干渉されない自由」を得られるとしたら、どうでしょう。


ここで少し面白いのは、ビットコインが目指すプライバシーは、取引を「隠す」こととは少し違う点です。


世の中には、取引の記録自体を暗号化して見えなくする「プライバシーコイン」と呼ばれるものもあります。


一方で、ビットコインの取引記録は、実はすべて公開されています。誰でもその流れを追うことができます(透明性)。


ただし、そのお財布(アドレス)の持ち主が現実世界の誰なのかは、すぐには分かりません(仮名性)。


ビットコインにおける「主権」や「プライバシー」とは、取引を隠すことではなく、その資産をどう使うかの決定権を、完全に個人が握っている状態を指すようです。誰かに取引を止められたり、差し押さえられたりしない自由。


投資対象としてだけ見ていると、こうした側面はなかなか見えてきません。


便利さと自由。そのバランスをどこで取るか。ビットコインのこの「自分で管理する」という考え方は、デジタル社会で生きる私たちに、意外と根本的な問いを投げかけているのかもしれません。


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