中国の AI スタートアップ DeepSeek が次世代モデル「R2」の発表を延期しています。表向きは技術的な完成度の問題ですが、実際は Huawei チップでの学習が一度も成功しなかったことが原因です。この事例が示すのは、中国の半導体自立戦略が直面する現実です。
2025年5月にリリース予定だった R2 モデルは、中国政府の要請で Huawei の Ascend チップを使用しましたが、パフォーマンスの不安定性、チップ間接続の遅延、ソフトウェアプラットフォームの制限という問題に直面しました。
興味深いのは、Huawei がエンジニアチームを DeepSeek のデータセンターに派遣したにもかかわらず、Ascend プラットフォームでのトレーニングは一度も成功しなかった点です。結局、学習には Nvidia チップを、推論には Huawei チップを使うという妥協案に落ち着きました。
性能の差は歴然
Huawei Ascend 910C は推論タスクで Nvidia H100 の60%程度の性能を発揮します。FP16 演算性能は約320 TFLOPS で、H100 と比較すると 60~70% の性能とされています。
Ascend 910C は2つの 910B チップを組み合わせた構成で、800 TFLOP/s の FP16 性能と 3.2 TB/s のメモリ帯域幅を実現していますが、それでも H100 の80%程度です。メモリ容量は128GB で H100 の80GB を上回るものの、SMIC の7nm プロセスで製造されており、Nvidia の4nm と比べると世代差があります。
何より問題なのは学習タスクです。DeepSeek の Yuchen Jin 氏は、長期的な学習の信頼性が中国製プロセッサの決定的な弱点だと指摘しています。推論は最適化できても、継続的な学習ワークロードには Huawei のハードウェアとソフトウェアスタックにさらなる改善が必要だという評価です。
揺れ動く米中の駆け引き
2025年4月、米国政府は H20 チップに輸出ライセンス要件を課し、Nvidia は55億ドル(約7,850億円)を計上しました。しかし7月には販売が再開され、中国企業は殺到しました。
テンセント、アリババ、バイトダンスといった IT 大手が H20 の購入量を大幅に増やし、発注総額は120億ドルを超えたとの報道もあります。医療や教育分野の中小企業も DeepSeek モデルと H20 を搭載した AI サーバーを購入し始めており、利用企業の裾野が広がっています。
ところが8月、中国当局は H20 チップにバックドアが仕込まれている可能性を懸念し、企業に購入を控えるよう指示しました。これを受けて Nvidia は H20 の生産を一部停止したと報じられています。
置き換わらない依存構造
2025年5月、Nvidia の Jensen Huang CEO は、中国の AI チップ市場における同社のシェアが2022年の95%から2025年には約50%まで低下したと明らかにしました。これは規制の影響ですが、残りの50%が国産チップに置き換わったかといえば、そうではありません。
中国国内の主要半導体メーカーは Kunlunxin の「P800」、Moore Threads の「MTT S80」、Cambricon の「思元590」などを市場に投入しましたが、実用性の面では課題が残ります。
Huawei の CloudMatrix 384 システムは、384個の Ascend 910C チップを高速光ネットワークで接続することで、H100 ベースのシステムを上回る性能を実現したとの分析もありますが、エネルギー消費が3.9倍に達し、7nm 技術と古い HBM2E メモリを使用しているため、持続可能性には疑問符がつきます。
何より、Nvidia の CUDA フレームワークは AI 開発の中核であり続けており、Huawei のソフトウェアは依然として後れを取っているのが実情です。
見えてきた限界
DeepSeek R2 の遅延は、中国の AI 産業が抱える構造的な問題を浮き彫りにしました。推論タスクでは国産チップが実用水準に達しつつありますが、学習タスクでは Nvidia に依存せざるを得ません。
Ascend 910C は中国の AI 自給自足の要となっているものの、グローバルな採用にはエコシステムと制裁関連のハードルが立ちはだかります。技術的な突破と政治的な制約の間で、中国の AI チップ産業は厳しい舵取りを迫られています。
日本企業にとっても、この状況は無関係ではありません。半導体サプライチェーンの再編が進む中、技術覇権をめぐる米中の攻防は、グローバルな AI 開発の方向性に大きな影響を与え続けるでしょう。